常設展示「マチスとピカソ」の見どころご案内(2)

4月5日(火)から始まった春から初夏の常設展示「マチスピカソ」から、見どころを紹介してゆくシリーズの第2回。今回はピカソをはじめとする、キュビスム(立体派)の作品をご紹介いたします。

パブロ・ピカソ(1881-1973) はその生涯において、「青の時代」「ばら色の時代」「キュビスム(立体派)の時代」「新古典主義の時代」「シュールレアリスムの時代」などと、作風を何度も大きく変化させました。どの作風もそれぞれ見どころがありますが、20世紀の美術に与えた影響という点では、1907年から18年頃までの「キュビスムの時代」がいちばん重要です。今回の展示では、ピカソらによるキュビスムの実験の過程がよくわかるように、各時期の代表的な作風を示す作品が展示されています。

キュビスムピカソが1907年の秋に描いた「アビニヨンの娘たち」に始まるとされています。アフリカ彫刻の影響が強いこの作品は、ルネサンス以来西洋美術の中に連綿と受け継がれてきた『絵画はただひとつの視点から見た風景として描かなければならない』という常識に対する、意義申し立てでした。この作品においてピカソは、アフリカの彫刻や古代エジプトの壁画がそうであるように、描く対象のかたちがいちばんはっきりとわかる角度(目なら正面から見て、鼻なら真横から見て)を選び、それらを組み合わせて描こうと考えたのです。

翌1908年の後半から、ピカソはさらに大胆な実験を推し進めます。後期印象派の画家セザンヌの作品に影響を受け、セザンヌの「自然を円筒、球、円錐として捉えよ」という言葉を手掛かりに、描く対象の形態を単純な幾何学図形の組み合わせに還元しようとしました。上の作品「ふたつの裸体」(1909年)はこの時期の作品で、マンドリンを手にして座る女性と、グラスをかかげ持つ子どもの姿が、積み木のような単純な形態の組み合わせで表現されています。女性の乳房の位置がわざと斜めにずらされていますが、これはアフリカ彫刻同様に、乳房のかたちと存在がいちばんよくわかる姿を選んで合成したものと考えられます。

1909年になると、ピカソは描くモチーフを徹底的に分解し、それを細かい線や面に変えて画面上に展開して描く、独特の描き方を確立します。この方法を「分析的キュビスム」と呼びます。上の作品「レオニー嬢」(1910年)は、友人マックス・ジャコブの小説「聖マトレル」のために描いた挿絵の中の一点ですが、女性の肉体はすっかり抽象的な形態に還元されていて、ほとんど痕跡しかわかりません。

こうしたピカソの過激な実験を見て、親しい友人たちは最初とまどいましたが、やがてその革新性を認め、次々とキュビスムの実験に加わるようになりました。ジョルジュ・ブラックはもっともピカソに接近した画家で、テーブルの上のグラスやびんなどを描いた上の作品「静物I」のように、極めて抽象化の進んだ作品を作るようになりました。

こうしたキュビスムの実験が、数年後に現れる抽象絵画の運動に影響を与えたのは確かです。けれどもピカソたちは、描く対象の姿を分析的にバラバラにしてはいますが、決して完全に消し去ろうとは考えていませんでした。分析的キュビスムの実験を推し進めた結果、もののかたちがあまりにもバラバラで複雑なものになってしまい、何を描いたものか判然としなくなってしまったため、ピカソは今度は、何を描いたのかすぐにわかるような「仕掛け」を、絵画の中に盛り込もうと考えます。上の作品「犬をつれた人」(1914年)は部屋の中で椅子に座って新聞を読む一人の男と、そのかたわらに寝そべる犬が描かれています。よく見ると画面には“LE J…”“…OURN…”という文字が描かれています。これは“LE JOURNAL (新聞)”という単語の一部で、ここに新聞を描いてあるよ、ということを示しているのです。1912年から18年まで続く「総合的キュビスム」の時代、ピカソたちは絵の中に直接文字を描き入れたり、あるいは本物の新聞紙を直接貼り付けたりすることによって、そこに何があるかを間接的にほのめかそうとしました。

こうして、パピエ・コレ(貼り絵)と呼ばれる技法によって、ユニークな作品が続々と生み出されました。上の作品「ヴィユ・マールのびん、グラス、静物」(1966年)は、1910年から12年にかけてピカソが制作したパピエ・コレを用いた作品を後に版画で再現した「パピエ・コレ 1910-1914」の中の1点ですが、作品の中に新聞紙や壁紙などが貼り付けられ、“VIEUX MARC”(酒の銘柄)という文字が書き入れられています。このことによって、丸テーブルの上に酒瓶や新聞紙が乗っているようすが、鑑賞者に実感として伝わるのです。

こうした総合的キュビスムの運動は、抽象画に接近し過ぎたキュビスムを再び具象の世界に呼び戻す役割を果たしました。総合的キュビスムは他の時期のキュビスムに比べると、何が描かれているか比較的わかりやすく、また画面を読み解く面白さもあるため、広く普及しました。上の写真はポーランド出身のキュビスムの画家ルイ・マルクーシが描いた「カウンター」です。“VINS”(ワイン)や“PARIS”(パリ)といった文字の存在によって、バーのカウンターの上に新聞やボトルが置かれているさまがありありと伝わってきます。

ピカソによるキュビスムの実験は1918年頃をもって終わり、その後の彼はまったく別の作風へと舵を切ることになるのですが、キュビスムという運動の影響は広範囲に及び、1910年代後半の抽象絵画の誕生に大きな影響を与えました。上の写真はロシア構成主義の画家で抽象絵画の先駆者のひとりと言われているカジミール・マレーヴィチの初期の作品「祈り」(1913年)です。一見、幾何学的なかたちを無造作に積み上げただけの抽象画に見えますが、よく見ると向かって右側を向き、膝をついて祈りを唱える、頭巾を被ったロシアの農婦の姿が浮かび上がってきます。1911年にマレーヴィチはパリを訪れ、キュビスムの画家フェルナン・レジェの作品に大きな影響を受けています。レジェの作品はよく描く対象を円筒形の繋がりで表現しようとしていることから、シリンダリスム(円筒主義)と呼ばれることがありますが、マレーヴィチのこの作品もシリンダリスムの影響が色濃く残っていることがわかります。

今回は「マチスピカソ」の展示作品から、キュビスムの流れをご紹介いたしました。次回はマチスピカソ以外の、ヨーロッパ美術の作品の数々をご紹介いたします。


■常設展示「マチスピカソ」4月5日(火)−6月26日(日)
観覧料(共通):一般 450円(360円))、高大生 250円(200円)、小中生 無料 ( )内は20名以上の団体料金。
※併設「滋賀の工芸」「小倉遊亀コーナー」も一緒にご覧いただけます。
※企画展の観覧券で常設展も観覧できます。
※毎日、午後2時から美術館サポーターによるギャラリートークを行います。