常設展示「マチスとピカソ」の見どころご案内(3)

4月5日(火)から始まった春から初夏の常設展示「マチスピカソ」から、見どころを紹介してゆくシリーズの第3回。今回はマチスピカソ以外の、ヨーロッパ美術の作品の数々をご紹介いたします。

マチスピカソが活躍した20世紀前半のヨーロッパの美術界で、最も革命的な出来事は、抽象美術の出現でした。抽象絵画は特に一人の画家の独創ではなく、フランスのドローネーやピカビア、ロシアのカンディンスキーチェコのクプカ、オランダのモンドリアン等、複数の画家たちがそれぞれ独自に到達したものだと考えられています。中でもワシリー・カンディンスキーは、1910年代前半という早い時期から抽象絵画を研究していたこと、「点、線から面へ」(1922年)をはじめとする抽象絵画の理論書を幾つも執筆していることなどから、『抽象絵画の父』と呼ばれています。上の写真はこの「点、線から面へ」の理論に基づいて描かれた彼の代表的な版画集「小さな世界」(1922年)12点組の中の1点です。カンディンスキ−は個々の色や形態にはそれぞれ異なった感情が宿るとし、音楽家が音やリズムを組み合わせて自らの内面を音楽で表現できるように、画家は色と形を組み合わせて自らの内面を表現できるはずだ、と考えました。確かに彼の描く抽象絵画は、それぞれ異なった印象を持ち、それを見るわたしたちの心の中に、賑やかなお祭り騒ぎや孤独で憂鬱な気分など、おのおの違った感情を喚び起こします。

カンディンスキーが「抽象“絵画”の父」なら、「抽象“彫刻”の父」は、ルーマニア生まれのコンスタンティンブランクーシです。彼の代表作「空間の鳥」(上の写真)は空を飛ぶ鳥の姿をあらわしたものですが、流線型のシンプルな形は表面がピカピカに磨き上げられ、鳥の頭部や、翼や、足のかたちはどこにも見つかりません。ブランクーシは死んで動かない鳥ではなく、今まさに空気の中を一直線に駆け抜けてゆく、飛ぶ鳥の本質を表現しようとしました。勢いよく飛ぶ鳥を見た時、わたしたちの目には、それがどんな頭部だったか、どんなふうに翼を動かしていたかなど、細かい部分はほとんど捉えられていません。そこでブラクーシは不要な細部を省略し、ロケットやプロペラなどとも共通する、流線型の美しい形だけを残したのです。表面をピカピカの金色にしたのも、ブロンズの重量感をできるだけ消し去り、重力にとらわれない軽々とした印象を作品に与えようとしたためだと言われています。

第二次世界大戦以前のヨーロッパ美術において、大きな役割を果たしたものにロシアの前衛美術があります。前述のカンディンスキーもロシア出身ですが、彼の他にも前回紹介したカジミール・マレーヴィチや、タトリン、ゴンチャロワなど多くの作家たちが、従来の伝統にとらわれない新しい芸術を模索して、絵画、デザイン、建築など多様な分野で活躍しました。中でもアレクサンドル・ロトチェンコとワルワーラ・ステパーノワの夫妻は、ロシア革命の熱狂の中で民衆のための芸術を目指し、舞台芸術やポスターのデザイン、テキスタイル(布地)デザイン、写真など、幅広い分野に足跡を残しました。今回の展示ではロトチェンコによるユニークな写真4点(写真上)と、夫人のステパーノワによる布地デザイン2点をご紹介しています。

第二次世界大戦後、現代美術の中心地は戦火の被害を受けたパリから、アメリカのニューヨークへと移りました。けれども戦後のヨーロッパにも、多くの優れた芸術家たちが現れて、アメリカとは異なる香りのユニークな花々を咲かせました。上の写真はスペインの画家アントニ・タピエスの「黒い空間」です。タピエスは戦後のパリで生まれ、ヨーロッパのみならず日本にも多きな影響を与えた「アンフォルメル(非定型)」運動の主要メンバーで、絵具の中に石膏や砂を混ぜて重厚な画面を作ることで有名な作家です。タピエスの故郷スペインは、戦後もフランコによる独裁政権が続き、繰り返される内戦で多くの血が流されるという不幸な歴史を背負った国ですが、この作品が持つ重苦しい圧迫感、閉塞感にも、そうした戦後スペインの苦難の歴史が反映しているように感じられます。

アンフォルメルに続いて1960年代のヨーロッパで注目を集めた運動に、「ヌーヴォー・レアリスム(新しいリアリズム)」があります。この運動に属する作家たちは従来の画材や彫刻素材に飽き足らず、さまざまな日用の品々を用いてユニークな作品を作りました。上の写真はフランスの作家アルマンの作品「ビショップの悲劇」です。黒い木箱の中に何かの物体がバラバラにされて、コンクリート詰めにされています。よく見るとそれは、ケースごと輪切りにされたヴァイオリンです。大量消費を美徳とし、ゴミを次々と産み出しては環境を汚す現代人と現代文明に対する皮肉が溢れたような作品ですが、見方を変えるとピカソが描くキュビスムの絵の中のヴァイオリンを、そのまま立体化した作品のようにも見えます。ヴァイオリンがリズミカルに動いて、音楽を奏でているかのように感じられませんか。

アルマンの親友でもあったイヴ・クラインは、自ら調合法を発明した青い絵具「インターナショナル・クライン・ブルー(IKB)」を使って多くの作品を作りました。上の写真「RE42」は、板の上に小石と海綿をたくさん貼り付け、IKBで着色して、まるで海底か異星の風景のような不思議なイメージを作り上げたものです。見つめているだけで、作品の中に吸い込まれそうに感じられる神秘的な作品です。クラインはこの他にも、炎(ガスバーナー)で絵を描いたり、人間の裸体にIKBを塗って布に押し付けて魚拓ならぬ人拓を取るなど、ユニークな作品を数多く制作しました。
ヌーヴォー・レアリスムにはこの他、ガラクタを集めて人間的でユーモラスな動きをする機械を作るジャン・ティンゲリーらが所属しています。今回の展示ではティンゲリーによる貴重なデッサンを2点ご覧いただけます。

このように20世紀ヨーロッパの芸術界は、アメリカとは異なる独自の世界を築き上げ、多くの傑作を産み出しました。その典雅な美意識とピリリと辛いエスプリに溢れた世界を、この機会にぜひご堪能ください。


■常設展示「マチスピカソ」4月5日(火)−6月26日(日)
観覧料(共通):一般 450円(360円))、高大生 250円(200円)、小中生 無料 ( )内は20名以上の団体料金。
※併設「滋賀の工芸」「小倉遊亀コーナー」も一緒にご覧いただけます。
※企画展の観覧券で常設展も観覧できます。
※毎日、午後2時から美術館サポーターによるギャラリートークを行います。