秋の常設展「湖国滋賀と京都画壇」の見どころ紹介(1)

11月1日(火)に始まった秋の常設展示第2弾「湖国滋賀と京都画壇」は、湖国滋賀と京都の日本画壇の繋がりに焦点を当てて、江戸中期から昭和時代に描かれた作品19点を展示しています。古くは近江国と呼ばれた滋賀県は京の都に近く、また「近江八景」に代表される風光明媚な土地柄で、京の人々にとっては格好の保養地であったこともあり、古くから京都とは密接な関係を持っていました。また、滋賀県(近江国)出身で京都の画壇で活躍した画家たちもたくさんいます。このブログでも今回から数回に分けて、本展示の見どころをご紹介してゆきたいと思います。


江戸中期の画家としては、俳人で南画家であった与謝蕪村(よさ・ぶそん)の画風を継承し「近江蕪村」と呼ばれた二人の南画(なんが)家、紀楳亭(き・ばいてい)と横井金谷(よこい・きんこく)が特筆すべき存在です。南画は別名「文人画」とも言い、中国の南宗画に由来し江戸中期に確立した画風です。文化人たちが手すさびに書いた自由奔放で洒脱な作風が特徴で、与謝蕪村の他、池大雅(いけの・たいが)、浦上玉堂(うらがみ・ぎょくどう)、谷文晁(たに・ぶんちょう)らが当時の代表的な南画家でした。紀楳亭は蕪村の弟子で、山城国(現在の京都府)の生まれで晩年大津の地に移り住み、「湖南九老」と称しました。蕪村の作風を非常によく継承し、情感豊かな風景が・人物画を多数のこしました。上の写真は中国の文化人たちが山の中の書院で優雅にくつろぎ、舟遊びなどを楽しむ姿を描いた「夏山書屋図(かざんしょこくず)」です。当時の日本の文化人たちが憧れとした暮らしが生き生きと描き出された、興味深い作品です。


横井金谷は蕪村の直接の弟子ではありませんが、私淑した画家で、やはり蕪村のびのびとした、詩情溢れる作風を継承しています。現在の滋賀県草津市の生まれで、はじめ浄土宗の僧侶でしたが、後に山伏となって諸国を放浪しながら絵を描きました。山伏としての経験を生かした、険しい山岳風景にもその本領が生かされています。上の写真は奥深い山中で闘茗(とうみょう。お茶を飲んでその銘柄を当てる催し)を楽しむ文化人たちの姿を描いた「汲清泉闘茗図(きゅうせいせん・とうみょうず)」で、険しい山の風景と、その中でのんびりと闘茗を楽しむ文化人たちのユーモアをまじえた描写との取り合わせが印象に残る作品です。


さて江戸中期以降、京都の日本画壇の中心的な存在であったのが、円山応挙(まるやま・おうきょ)によって創始された、写生を重んじる『円山派』です。円山派はしばしば、呉春(ごしゅん)を祖とする『四条派』とともに『円山四条派』と総称されることもあります。四条派は南画をベースに円山派を取り入れた、情感溢れる作風が特徴です。

幕末期に活躍した「平安四名家」と呼ばれた巨匠たち−岸連山(きし・れんざん)、塩川文麟(しおかわ・ぶんりん)、中島来章(なかじま・らいしょう)、横山清暉(よこやま・せいき)はいずれも、円山四条派とその周辺に連なる画家たちです。その一人、幕末の円山派を代表する存在である中島来章は現在の甲賀市信楽町の出身で、山水画花鳥画に優れた作品を数多く残しました。上の作品「福禄寿花黄鳥図(ふくろくじゅ・かおうちょうず)」を見てもわかる通り、綿密な自然観察と卓越した写生の技量を生かした図鑑のように精緻な画面は、当時の円山派の技術の高さを示す証拠になっています。

中島来章とともに平安四名家の一角をなした岸連山は、岸駒(がんく)に始まる岸派の継承者でその三代目です。岸派は迫力のある動物画を特徴とした流派で、創始者の岸駒は円山応挙のライバル的存在でしたが、岸連山の代になってからは時代の要請を受け、四条派風の穏和な画風に変わりました。けれども右の写真「龍虎図」では、岸派本来の迫力ある描写が見る者を圧倒します。墨絵を基本にした、荒れ狂う雲や逆巻く水の表現、重厚な松の木の肌の表現などが見どころです。

岸連山をはじめとする岸派の画家たちは代々「虎」の絵を得意としてきましたが、実際に生きたトラを見たことはありませんでした。連山の弟子の岸竹堂(きし・ちくどう)は明治の世になり、サーカス団で見た生きたトラに衝撃を受け、毎日サーカスに通っては写生を続けて、それまでにない画期的な虎の絵を確立しました。左の写真「虎図」もその中の一点で、子どものトラを守る母親トラの勇猛な姿が、毛並みの一本一本までも丹念に描写する鬼気迫る細密表現によって迫力満点に表現されています。


岸竹堂は滋賀県彦根の生まれで、幕末から明治初頭にかけて京都画壇の近代化に貢献した巨匠です。伝統的な円山四条派の写生に、西洋近代の写実表現を融合させて、近代にふさわしい新しい日本画の創出を目指して活躍しました。その成果は右の写真「堅田真景図(かたた・しんけいず)」にも見て取ることができます。これは近江八景のひとつとして有名な、琵琶湖に突き出した堅田の浮御堂(うきみどう)を描いた作品ですが、それまでの日本の風景画とは異なり画家の視点を等身大の人間の目の高さに設定したり、それまで日本画ではほとんど描かれることのなかった「影」の表現(浮御堂の屋根の影に注目して下さい)に挑むなど、西洋画の表現法を意識したさまざまな実験が行われています。竹堂ら幕末・明治初期の先駆者が遺した成果の上に、近代の京都画壇は花開いたと言っても過言ではありません。

今回は滋賀県ゆかりの京都画壇の画家たちの中から、江戸中期から幕末・明治初頭に活躍した巨匠たちをご紹介しました。次回は明治後半から大正・昭和にかけての京都画壇を彩った画家たちを、大津市出身の山元春挙(やまもと・しゅんきょ)を中心にご紹介いたします。


■常設展示「湖国滋賀と京都画壇」 11月1日(火)−12月18日(日)
観覧料(共通):一般 450円(360円)、高大生 250円(200円)、小中生 無料
( )内は20名以上の団体料金。
※企画展の観覧券で常設展も観覧できます。
※現代美術の展示「戦後アメリカ美術の軌跡」(9月6日(火)−12月18日(日))も併せてご覧いただけます。