常設展示「マチスとピカソ」の見どころご案内(1)

4月5日(火)から春から初夏の常設展示「マチスピカソ」と「滋賀の工芸」が開催されています(いずれも6月26日(日)まで)。これまでシリーズで「滋賀の工芸」の見どころをご紹介してきましたが、今回からは現代美術部門の展示「マチスピカソ」の見どころをご紹介してゆきます。

この展示のメインになっているのはタイトルが示す通り、20世紀前半のヨーロッパ美術を代表する二人の巨匠、アンリ・マチス(1869-1954)とパブロ・ピカソ(1881-1973)による版画作品です。このうち、展示中のマチスの作品は、幅3メートル半を超える壁画サイズの巨大な作品「オセアニア・空」「オセアニア・海」(いずれも1946年作)のほか、3つの版画集「パーシパエー ミノスの歌」(1944)、「面ざし」(1946)、「シャルル・ドルレアン詩集」(1950)に収められた作品で、総展示点数は計43点です。

フォービスム(野獣派)の旗手として、そして20世紀美術の基礎を築いた「色彩の魔術師」として名高いフランスの画家マチスは、その生涯にリトグラフ(石版画)、エッチング(腐蝕銅版画)、リノカット(リノリウムを版材に用いた凸版画)、ステンシル(孔版画)など、さまざまな技法を用いて多くの版画作品を残しています。その中でも特にユニークなのが、晩年に熱心に取り組んだ、切り紙絵を元にしたステンシル版画の数々です。1941年に腸の手術をしたマチスは、病床で筆を取れないもどかしさから、切り紙絵に熱中するようになりました。退院後のマチスはそれら切り紙を元にした作品に取組み、そうして生まれたのが版画集「ジャズ」(1947年)をはじめとするステンシルの作品群です。
一方でマチスは、彩色した切り紙を大きな紙に留めることで壁画サイズの作品が作れることに気付き、上の写真の奥に見える作品「オセアニア・空」「オセアニア・海」や、「ポリネシア・空」「ポリネシア・海」(いずれも1946)などの壁画サイズの作品を手掛けました。これらの作品はいずれも、楽園のような南太平洋の島々で遊ぶ、鳥たちや魚たちのイメージをモチーフにしており、のびのびとした解放感と艶やかに呼吸するような生き生きした線の魅力に溢れた、マチス晩年の自由な境地を象徴しているかのような楽しい作品となっています。鳥たちや魚たちのイメージといっても必ずしも厳密なものではなく、見る人によっていかようにでも解釈できる多義的なイメージであり、それゆえ原初的な生命の渾沌とした生命感をそのまま宿しているかのような、力強く、優しく、そして若々しさに溢れた形象になっています。

18点の作品が並んだ「パーシパエー ミノスの歌」(写真上)は、ニースで知りあった詩人アンリ・ド・モンテルランの詩「クレタ島の人々」に、マチスがリノカット版画を添える形で刊行されたものです。パーシパエーはギリシア神話に登場する人物で、クレタ島のミノス王の妃であり、海神ポセイドンの怒りに触れて牡牛に恋する呪いをかけられ、牛頭人身の怪物ミノタウロスを産んだとされる女性です。マチスの版画は本来の物語に囚われず、シンプルですが力強くのびやかな線で、ギリシア神話の世界を生き生きと捉えています。リノカットとは凸版の一種で、木版ならば木の版木を使うところを、代わりにリノリウムという、床材などに使われる物質を使用して彫った版画です。黒と白の強烈なコントラストと艶やかな線が、強烈な地中海の陽光の元に繰り広げられるロマン溢れる世界を巧みに表現しています。

11点の作品が並ぶ版画集「面ざし」(写真上)は、素早い筆致で即興的に写し取った女性の顔をリトグラフ(石版画)にしたもので、ピエール・ルヴェルディの詩に図版を添える形で刊行されたものです。モデルとなった女性は不明ですが、おそらく当時マチスの助手で愛人でもあったリディア・デレクトルスカヤだと思われます。モデルがひとりの女性であるとは思えないほど顔だちがコロコロと変わっていますが、実際の人間の顔も、よく見ればこれくらい表情が豊かに変化するものです。マチスクロッキー(速描)の達人で、刻一刻と移り変わる女性の表情をシンプルな線で見事に活写しています。これら一瞬一瞬を捉えた11枚の絵を通して眺めた時に、その中から通底和音のように浮かび上がってくるものこそ、モデルの真の姿なのかも知れません。

17点を展示している「シャルル・ドルレアン詩集」(写真上)は、15世紀フランスの王族で詩人でもあったシャルル・ドルレアン(オルレアン公シャルル・ド・ヴァロワ)の詩をマチス自身が手書きで描いたものに、シャルルの横顔肖像などの図版や、装飾的なカットを加えた風変わりな作品です。あちこちに登場する白百合のイメージは、当時のフランス王家の紋章から取ったものです。シャルル・ドルレアンは百年戦争という激動の時代を生きた人物で、イギリス軍に捉えられ25年間虜囚生活を送った後、晩年は政界の策謀に失望してヴァロワ城に隠遁するなど、波乱に富んだ人生を送ったと伝えられていますが、その詩は叙情的にして流麗典雅な魅力に溢れています。マチスのこのリトグラフ(石版画)集も、詩と見事に調和したリズミカルで奔放なスタイルを取り、優美で古典的な魅力に満ちています。

このように今回の展示は、作品ごとに異なるマチスの側面がご覧いただける、興味深い展示内容になっています。次回はピカソの作品をはじめとする、キュビスム(立体派)の作品をご紹介します。


■常設展示「マチスピカソ」4月5日(火)−6月26日(日)
観覧料(共通):一般 450円(360円))、高大生 250円(200円)、小中生 無料 ( )内は20名以上の団体料金。
※併設「滋賀の工芸」「小倉遊亀コーナー」も一緒にご覧いただけます。
※企画展の観覧券で常設展も観覧できます。
※毎日、午後2時から美術館サポーターによるギャラリートークを行います。