常設展「戦後アメリカ美術の軌跡」の見どころ紹介(2)

アメリカ現代美術の『黄金時代』と呼ばれる、1950年代から70年代後半にかけての展開をご覧いただける常設展示「戦後アメリカ美術の軌跡」。その見どころを紹介するシリーズの第2弾です。今回は1960年代に全世界を席巻した「ポップ・アート」とその作品群についてご紹介いたします。

ポップ・アートは1950年代末のイギリスに出現し、次いでアメリカで花開いて世界的なブームになりました。ポップ・アートの「ポップ」は「Popular(大衆向けの、よく知られた、の意)」の略です。日本でも「ポピュラー音楽」などの用法で使われる言葉ですね。その名の通りポップ・アートの作品は、現代人なら誰もが知っている有名で通俗的なイメージを用いて作品を作るところに特徴があります。ポップ・アートの代表作家であるアンディ・ウォーホルが、マリリン・モンローエルヴィス・プレスリーといった有名人の写真を題材に用いたり、トム・ウェッセルマンがいかにも現代アメリカ風に設えられた室内に裸婦を配したりするのがその好例です。いずれも、見ただけで何を表現しているのか一目瞭然です。
それまでのアメリカ美術で優勢だった「抽象表現主義」が、その名の通りの難解な抽象絵画で鑑賞者を選ぶものであったのに対し、ポップ・アートの作品はその「わかりやすさ」によって美術界の覇権を奪ったのです。単にわかりやすいだけではありません。ポップ・アートの作品はいずれも、爛熟した現代文化の雰囲気を見事に体言しており、鑑賞者の共感を呼ぶものでした。そしてその中には多くの場合、現代文明に対するチクリとした皮肉が隠されているのです。

例えば上の作品、マリリンと並ぶアンディ・ウォーホルのもうひとつの代表作である「フラワーズ」は、とある雑誌に掲載された素人の投稿写真(小さなモノクロの写真)を元に、次々と色を変えて10点ものカラフルな作品に仕上げたものです。写真製版シルクスクリーンという新しい技法、ショッキングピンクなどの現代的な色彩を駆使した、とても華やかでお洒落な作品です。
けれどもこの花々、生きた植物というよりもまるで造花のような人工的な味気なさ、薄っぺらさを漂わせていると思いませんか? 実はウォーホルはこの花々に、スーパーマーケットの店頭に山のように積み上げられている食料品や洗剤などのパッケージの色彩をそのまま採用したのです。ところどころ色がズレている部分があるのも、スーパーで廉価販売される大量生産品のパッケージにはおうおうにして印刷がズレていることがあるのを、そのまま再現したからだと言われています。要するにウォーホルは、現代人にとっての自然が、工場で大量生産される品々のように人工的でけばけばしく、薄っぺらなものになってしまっていることを揶揄しているのです。そしてそれは花々だけでなく、現代社会の中の人間も同じなのかもしれません。

上の作品はトム・ウェッセルマンの出世作となったシリーズの1点、「グレート・アメリカン・ヌード#6」です。油絵とコラージュ(貼り絵)を組み合わせて作られたユニークな作品であり、ピンクの肌の裸婦や茶色の円テーブルなどは描かれたものですが、背景に貼られた肖像画モディリアーニの「ロロット」の複製画)やペルシャの小猫の写真、絨毯、赤いシーツ、薔薇の花の壁紙などはコラージュで表現されています。
ところでこの作品を見て、なんだかどこかで見たことがある、有名な作品に確か似たものがある、と思われた方もいらっしゃるでしょう。実はこの作品、20世紀前半を代表するフランスの巨匠、アンリ・マチスの「ばら色の裸婦」を意識して描かれています。ベッドの上にしどけなく横たわり、頭の後ろに腕を回した平面的な描法の裸婦というシチュエーションがそっくりです。【参考サイト】
けれどもマチスの作品とは異なり、ウェッセルマンの作品はどことなく現代アメリカ的の空気を漂わせています。実は「グレート・アメリカン・ヌード」のシリーズで描かれた裸婦がいる室内は、60年代初頭のアメリカの文化を支えたアッパー・ミドル(上級の中流階級)の典型的な室内を再現しようとしたものなのです。戦後の高度成長で生活が豊かになり、名画の複製や高価なペットを購入し、休日はベッドに横たわったままテレビを見ることができるような生活は、当時のアメリカ人の日常を見事に再現したものとなっています。実はこの作品には面白い仕掛けがあり、作品の配色がアメリカの国旗(星条旗)とまったく同じなのです。ちょっとわかりにくいですが、左上に青い四角があり、残りの部分が赤と白でできていることに注目して下さい。これは決して偶然ではなく、作品を見る者が無意識のうちに星条旗を連想するよう、ウェッセルマンが故意に施した仕掛けです。「グレート・アメリカン・ヌード」のシリーズには他にもこの仕掛けを施した作品が多数あります。

ところでこの作品に描かれた裸婦に、顔が無いのは何故なのでしょうか? ウェッセルマンは理由を明かしていませんが、考えられる理由は幾つかあります。
(1)顔が無いということは個性が無い=誰であっても構わないということ。この作品が特定の個人の室内を表わしたものではなく、現代アメリカ人の生活そのものを表現したものであるから顔を描かなかった。
(2)顔が無いということは人格が無い(認められていない)ということ。女性を性の対象とだけ見て人格を認めない男性優位のアメリカ社会を皮肉ったもの。
(3)顔が無くなることによって印象が薄くなり、変わりに背景に貼られたモディリアーニ肖像画の方が強烈に目立っている。現代社会において人間が人間の生み出したものによって覇権を奪われ、文明の奴隷となっているさまを皮肉ったもの。
他にも色々理由が考えられるでしょう。いずれにせよこの作品は、現代のアメリカ人の日常をそのまま表現しながら、そのあり方にチクリと風刺を施したものになっているのです。

上の写真は幅7.4メートル近い巨大な作品、ジェームズ・ローゼンクイストの「F−111」です。本来は1965年の個展で発表した、部屋の4面の壁いっぱいを占める幅25メートル超の巨大な絵画作品で、これを縮小して版画にしたのが現在当館で展示されている作品です。版画といっても当館所蔵の作品の中でも屈指の幅を誇る巨大な作品であり、迫力満点です。ローゼンクイストは画家になる前はビルボード(映画などの広告用巨大看板)を描く仕事に就いており、その経験が巨大な作品作りに生かされていると言われています。
ところでこの作品、いったい何を表わしたものなのでしょうか? 右端にはまるで内臓のように気持ち悪い大量のスパゲッティが描かれ、ビーチパラソルと水爆のキノコ雲、巨大なタイヤ、美容院のドライヤーを頭に被る少女などのイメージが雑然と並べられていますが、よく見ると画面全体を占める、巨大な飛行機の姿が見つかります。実はタイトルの「F-111」とはこの大作の原画が描かれた1965年当時、アメリカ軍がベトナム戦争に投入した最新鋭戦闘爆撃機(F-111アードバーク)のことなのです。泥沼化の様相を呈していたベトナム戦争の象徴を背景に、退廃的なまでに爛熟したアメリカ文化の様々なイコン(図像)が並べられ、現代アメリカが抱える光と闇を圧倒的な迫力で訴えかけているのが本作品なのです。

最後に左の作品、ジム・ダインの「10の冬の道具」(10点組の中の1点)をご覧いただきましょう。リトグラフで丹念に表現されているのは、小さなハサミです。「10の冬の道具」にはハサミの他、ペンチ、万力、千枚通し、プライヤーといった工具や大工道具が1品ずつ、まるで親しい人の肖像画のような陰影に富んだタッチで描き込まれています。単なる道具に過ぎない品々と、愛情込めた丹念な描き方とのギャップに思わず戸惑ってしまう作品ですが、実は作者ダインの祖父はかつて工具店を営んでおり、大工道具はダインにとって個人的にとても思い入れのある品々なのです。
このようにジム・ダインの作品は他のポップ・アーティストとは異なり、現代社会や文明の行方に対する批評めいた要素をほとんど持たず、個人的な思い出、個人的なこだわりを元に作られているのが特徴的です。個人的といっても彼の道具に注ぐ暖かい視線には誰でも共感できるものがあり、私たちもじっと見ていると、何気ない工具に次第に愛着が湧いてきそうです。あなたは、どの工具がいちばんお気に入りになりましたか?

このように今回の展示では、作品を通して20世紀のアメリカ、いや現代に生きる人々の価値観が見事に表現されているさまを見ることができます。ぜひご観覧ください。


常設展示「戦後アメリカ美術の軌跡」 9月6日(火)−12月18日(日)
観覧料(共通):一般 450円(360円)、高大生 250円(200円)、小中生 無料
( )内は20名以上の団体料金。
日本画・郷土美術の展示「湖国滋賀と京都画壇」(11月1日(火)−12月18日(日))も併せてご覧いただけます。