常設展「戦後アメリカ美術の軌跡」の見どころ紹介(1)

ただいま開催中の現代美術部門の常設展示「戦後アメリカ美術の軌跡」では、20世紀後半の美術の中心であったアメリカ現代美術の『黄金時代』と呼ばれる、1950年代から70年代後半にかけての展開を館蔵品を通して紹介しています。本展示の見どころを少し覗いてみましょう。


アメリカの現代美術が真の意味で花開くのは第二次世界大戦後のことですが、戦前から活躍していた注目に値する芸術家も存在します。ヨーロッパのシュールレアリスムの作家たちとも親交のあった「箱の魔術師」、ジョゼフ・コーネルもその一人です。
コーネルは毛織物などのセールスをしながら母と弟を養い、つつましい生活を送る一方で、彼が生涯愛した様々なもの ─天体図や百科事典の図版の切り抜き、古切手や古地図、古い映画のグラビア、サーカスやバレエの写真、海岸で拾ってきた貝殻など─を古い木箱に詰め込み、夢のように奇妙でノスタルジックな独特の世界を作り収めた作品を作り続けました。

例えば上の作品「シャボン玉セット(月の虹)宇宙の物体」では、巨大な月面図を背景に地球を思わせる青い球体がサーカスの綱渡りを演じ、その下には石膏で作られたパイプの火皿部分と流木が、海岸に打ち寄せられた遺物のような雰囲気で置かれており、遠い世界に寄せる夢と憧れが溢れています。

また上の作品「陽の出と陽の入りの時刻、昼と夜の長さを測る目盛り尺(アナレマ)」では、タイトル通り箱の奥には天空上の太陽の一年間の通り道を示すグラフが貼られ、上部には化石や星座がプリントされた円筒が鐘のようにぶら下がり、両脇にはワイングラスの上に紐で吊るされたコルク玉が鎮座しています。この紐を引っ張ると一体どんなことが起こるのか、少年のようにワクワクしながら作品を眺めてください。小さな箱の中に、無限の宇宙が拡がっているような気がしてきませんか。コーネルの作品は現在ではアッサンブラージュ(寄せ集めの意)技法の好例として評価され、特に日本では根強い人気を保っています。


さて戦後になり、アメリカの現代美術を一躍世界のトップレベルに引き上げたのはニューヨークで産声を上げた『抽象表現主義』です。抽象表現主義の作品はアメリカの広大な大自然を反映したかのような巨大な画面の中に、ある時は激しいタッチで絵具が飛び滴っていたり、またある時はとりとめもない茫洋とした色面が拡がっていたりします。今回の展示では抽象表現主義のひとつ、茫洋とした色面が特徴的な「色面絵画(カラー・フィールド・ペインティング)派」の中から、マーク・ロスコとアド・ラインハートの作品をご覧いただけます。

上はロスコの「ナンバー28」の展示風景です。ご覧のように黒い地の中に、白・こげ茶・赤茶の3つの雲のようなかたちがたゆたっているだけのシンプルな画面です。ソファに座ってこの静謐な画面をじっと見つめていると、だんだん心が落ち着いてくると感じる人がたくさんいます。そして、作品の中にだんだん吸い込まれていきそうな不思議な感覚を味わえるともいいます。
ロスコの作品はどれも、一種宗教的な雰囲気をまとっていて、見る者を内面世界に誘うかのような不思議な魅力を備えています。現にテキサス州のヒューストンには、ロスコの作品で壁面が覆われた「ロスコ・チャペル」という無宗派の礼拝堂があり、そこでは人々はロスコの作品を前に自由に瞑想にふけることができます。この雰囲気を当館を訪れたお客様にも少し体験してもらおうと、本展示ではロスコの作品だけを上の写真のような独立したスペースに収め、他の作品に邪魔されることなく作品を前にして瞑想の世界にふけっていただけるよう配慮してあります。

ロスコと並んで宗教的で崇高な雰囲気を特徴としているのが、上の写真、アド・ラインハートの「トリプティック」です。タイトルの“トリプティック”とは実は、宗教絵画によく使われる三幅対(さんぷくつい)の絵画のことです。この作品はちょっと目には、縦長の黒い長方形にしか見えませんが、よく見ると3つの正方形が縦に連なって三連になっていることがわかります。しかも個々の正方形の中には、細長い長方形が組み合わさった十字型がうっすらと見えます。基本的にキリスト教社会である欧米の人々にとって、十字型は言うまでもなくキリストの磔刑図、十字架を連想させるもの。タイトルといい描かれたイメージといい、宗教的な背景を持った作品なのです。ふだん神さまに縁の無い人も、この作品を前にしてじっと黒い画面を見つめて下さい。深い黒色があなたを包み込み、画面の奥にすぅっと引き込まれそうな気がしてくることでしょう。そうして深い瞑想の世界へと、見る者の魂は導かれるのです。


ロスコやラインハートの作品と一見よく似た上の作品、フランク・ステラの「ヴァルパライソ・フレッシュ」には、しかし彼らの作品のような宗教性や深刻さは微塵もありません。抽象表現主義の延長線上に1960年代半ばに生まれた「ミニマル・アート」(最小限芸術)は、抽象表現主義の辛気臭い精神性を捨て去り、限りなくシンプルな要素によって構成された理知的で現代的な作品群です。美術の中から余分な要素を次々と取り除き、美術が美術でなくなるギリギリの限界点を探ろうとしたこの運動は、隅々まで純粋さや簡潔さを求める現代文明の落とし子であると言えるでしょう。よく見るとステラの作品は3つの正三角形が集まっただけのシンプル極まりない構成です。この作品のいちばん画期的な点は「額縁が無い」ことと「作品が長方形ではない」こと。長方形や正方形の作品であれば、人間の目は展示室の壁面から作品だけを無意識に切り出して眺めることができますが、不定形をしたステラの作品の場合、どうしても背後の壁面が鑑賞者の目に入ってきます。逆に言えば、壁面がそのまま作品の一部として取り込まれてしまうのです。この作品に限らずミニマル・アートの作品は私たちに、作品が展示されている空間を強く意識させます。こうした変形キャンバスの採用によって、ステラの作品は壁に掛けられる絵画から、私たちを取り巻く空間の一部へと変化したのです。

ステラが壁面上で行ったことを、床の上で行ったのが上の作品、カール・アンドレの「Zinc-Zinc Plain」(亜鉛-亜鉛の平面)です。一片が30センチ、厚さが1センチの正方形の亜鉛の板を、36枚床に並べただけの作品です。この亜鉛の板は作者のアンドレが作ったものではなく、アンドレの指示に従って工場で作られたもの。作品の中には作者の手わざの跡はまったくありません。作品の表面を見ても、酸化した亜鉛板特有の不定形の模様が見えるだけ。いったいこの作品、どうやって観賞すればいいのでしょうか?
実はこの作品、全体のサイズにちょっとした意味があります。一片が30センチということは、作品全体のサイズは1.8メートル×1.8メートル。すなわちちょうど一坪(3.3平米)です。一坪は大人がその中に入って手を拡げて寝そべることができる大きさ、人間の生活の基本サイズです。ちょうど人間サイズの作品が展示室の中央に出現することによって、しかも思わず間違えて踏んづけてしまいそうなくらい床に溶け込んだ作品であることによって、私たちはどうしてもこの作品と展示室全体の大きさを意識せずにはおれません。作品を見ているようでありながら、私たちはこの展示室の空間そのものを体験することになるのです。

では上の作品はどうでしょうか? ドナルド・ジャドの「無題」は鉄とアルミニウムでできた棒状の物体です。下部の銀色の部分は左から右に向かって長さが順に短くなっていますが、これは「フィボナッチ級数」という数学の規則に基づいたものだそうです。この作品もアンドレの作品同様、作者のジャドが自分の手で作ったものではありません。やはり工場に発注して、ジャドがひいた設計図通りに作らせたものです。このような制作方法は「発注芸術」と言い、一見作者の責任放棄のようにも思えますが、実は現代美術が作者という存在を「作る者」から「プロデュースする者」へと転換させようとした結果です。映画監督のようなものだと考えた方がわかりやすいかも知れませんね。それではジャドはこの作品を通して、何をプロデュースしようとしたのでしょうか?
皆さんはこの作品を見て、いったい何を連想しますか? あるいは皆さんの知っているものに、この作品と似たものはあるでしょうか? ありそうで、なかなか思いつかないという人がほとんどだと思います。実はこの作品、この世にあるいかなるものにも似ていない、いかなるものも連想させない、というコンセプトでプロデュースされたものなのです。ジャドはこうした物体を「特殊な物体」という言葉で呼んでいます。いかがでしょうか? 単なる棒と見えたものが、意外と深い含蓄を持っていることに驚かれたのではないでしょうか?

今回は本展示のうち、1950年代の抽象表現主義から60年代半ばに登場したミニマル・アートへの流れをご紹介いたしました。次回は1960年代に世界を席巻した「ポップ・アート」の作品をご紹介いたします。


常設展示「戦後アメリカ美術の軌跡」 9月6日(火)−12月18日(日)
観覧料(共通):一般 450円(360円)、高大生 250円(200円)、小中生 無料
( )内は20名以上の団体料金。
※企画展の観覧券で常設展も観覧できます。
日本画・郷土美術の展示「湖国滋賀と京都画壇」(11月1日(火)−12月18日(日))も併せてご覧いただけます。