江戸時代の画人・高田敬輔の貴重な襖絵が発見・寄贈されました

このたび、日野出身の江戸時代の画人・高田敬輔(たかだ・けいほ)の貴重な襖絵が近江八幡市で発見され、滋賀県立近代美術館に寄贈されることになりました。


高田敬輔(1674年─1755年)は、近江日野(現在の滋賀県蒲生郡日野町大字大窪)に生まれた、江戸時代中期の画人です。京狩野(きょうがのう)の四代目・狩野永敬(かのう・えいきょう)に師事し、また雪舟(せっしゅう)の画法を学んで独特の画風を生み出しました。近年「奇想の画家」として人気が高まっている曽我蕭白(そが・しょうはく)をはじめ、月岡雪鼎(つきおか・せってい)、島崎雲圃(しまざき・うんぽ)など、当時を代表する著名な画家たちが高田敬輔に学んでおり、江戸中期の日本絵画を語る上で重要な存在です。長らく一般に忘れられた存在でしたが、1970年代に曽我蕭白が再評価されブームになったのを契機に、その師として高田敬輔もいま注目を集めつつあります。

今回発見された作品は、敬輔が亡くなる前年(1754年)、81歳で描いたおもて裏合わせて8面からなる水墨画による襖絵で、長らく近江八幡市の旧家で使われていたものです。昭和50年に美術史家の故・土居次義氏が東洋美術誌「國華」で紹介したものの、その後所在を確認できず、幻の作品となっていました。平成17(2005)年に当館が「高田敬輔と小泉斐(あやる)」展を開催した際も、所在がわからずやむなく出品を断念した経緯があります。のたび、所蔵者が当館に申し出て下さったことにより、晴れて寄贈を受ける運びとなりました。

この作品、4枚の襖の片面には「竹林七賢琴棋書画(ちくりんのしちけん・きんきしょが)図」が、その裏側には「楼閣山水(ろうかくさんすい)図」が描かれています。竹林七賢とは3世紀の中国・魏(三国時代)の時代末期に、世を避け竹林で清談にふけったといわれる、当時を代表する七人の人物を指します。彼らの自由奔放な言動は後世の人々から敬愛されて、多くの作品に描かれています。また琴棋書画とは「琴を弾じ,棋(囲碁のこと)を囲み,書画をよくすること」という文化人のたしなみである「四芸」のことで、これも画題としてよく描かれるものです。本作品がユニークなのは、竹林七賢と琴棋書画というよく知られた二種類の画題をドッキングさせている点で、敬輔のユーモアを感じることができます。

また裏面の「楼閣山水図」は、敬輔晩年の画風をしのばせる迫力のある山水図です。両面とも、高田敬輔の代表作に数えられる最重要作品と言えましょう。


この作品、少しでも早く県民の皆さまにお見せしたいのですが、残念ながら画面の損傷が激しく、修復作業を行なわなければ長期の展示に耐えない状態です。そこでしばらく修復作業に専念し、改めて機会を設けて、常設展示室で皆さまのお目にかけたいと考えております。

なお「日本絵画 組み合わせの美」展の記者発表が当館で行われた4月13日(金)、本作品が報道記者や関係者向けに公開されました。

修復を終え、一般公開される日が待ち遠しいですね。続報をお待ち下さい。