常設展示「日本の前衛」の見どころ紹介(2)

1月21日(土)に始まった常設展示「日本の前衛」の内容をご紹介するシリーズの第2弾。今回は海外で活躍した、あるいは活躍中の現代美術作家たちについてご紹介いたします。


1960年代になると現代美術の世界はグローバル化し、アメリカ、ヨーロッパ、そして東洋の日本でも、よく似た傾向の流派が同時に出現して互いに影響を与え合うという状況が恒例化します。アメリカの抽象表現主義、ヨーロッパのアンフォルメル運動、そして前回ご紹介しました「具体美術協会」の作品群のいずれにも共通した要素(画家の激しいアクションと絵具の物質感の強調)があるのも、そして具体美術協会の活動がアンフォルメルの指導者である評論家ミシェル・タピエによって世界中に喧伝されたのも、こうした状況と無関係では無いのです。
そしてそんな状況の中で、日本人の現代美術作家たちの中にはパリやニューヨークといった現代美術のメッカに旅立ち、そこを根拠地として活動を始める者が出現します。海外に留学した明治や大正時代の洋画家たちが、あくまで美術の本場に教えを乞いに行ったのと比べると、戦後日本の現代作家たちが本場のアーティストと肩を並べ、しのぎを削るようになったのは画期的な変化だと言えましょう。

アンフォルメル(非定型の意)運動の本場であるフランスのパリでは、今井俊満(いまい・としみつ)や堂本尚郎(どうもと・ひさお)といった作家たちが本場の作家たちに混じって活躍しました。1950年代、ジョルジュ・マチュウやジャン・フォートリエといったアンフォルメルの作家たちは、絵具を不安定に盛り上げたり激しいアクションで描くことによって、不定形なフォルムを持った抽象・半具象絵画を次々と生み出していました。その根底には二つの世界大戦を経て疲弊したヨーロッパの人々が心の底に抱えていた不安と、人間の実存への問い掛けがあるとも言われています。戦後まもなくしてパリに渡った今井俊満は、アンフォルメルの代名詞である絵具の滴りによる激しいアクション描法をいち早く身につけ、上の作品「東方の光」のような作風を確立しました。この作品のタイトルが象徴的に示すように、今井の作品はアンフォルメル運動の中では「東洋的な情趣に富んでいる」と評価され、今井自身も自分の中の日本的な部分を意識して制作を続けました。この作品も一見ただの抽象画ですが、使われている色彩は神社の鳥居を思わせる朱色や、わびさびを感じさせる渋いモスグリーンなどであり、苔むした古刹の庭に紅葉が散らばっている日本的な風景に見えなくもありません。その後の今井はアンフォルメルと伝統的な日本絵画との融合という課題に取り組み、花鳥風月をテーマにした作品を生み出します。

日本画家・堂本印象の甥にあたる堂本尚郎(どうもと・ひさお)は最初日本画を学び、渡仏後アンフォルメル運動に身を投じた画家です。当時の作品は上の写真「アンスタンタネイテ」(瞬間性の意)のような、激しい筆致によるはっきりした形態の無い抽象絵画でしたが、その後幾何学的な色の帯が重なり合う独特の抽象画を開拓します。「アンスタンタネイテ」はタイトル通り即興的な雰囲気が強いダイナミックな作品で、白と黒の清新な画面が強烈な印象を残します。吹雪の風景のようにも、あるいは嵐の中を羽ばたく黒い鳥のようにも見える不思議な画面であり、今井俊満の作品と同様、日本の水墨画に通じる感性を見ることもできそうです。

前回ご紹介しました菅井汲(すがい・くみ)もまた、パリで活躍した抽象画家です。そして彼らよりもずっと若手になりますが、上の作品「落下(RAKKA)」を描いた黒田(くろだ)アキもまた、パリを活動の拠点として活躍している作家です。当館の常設展示「滋賀の洋画」で大きく取り上げている黒田重太郎とは親類筋(黒田アキの父の従兄弟が重太郎)にあたり、ギリシャ神話をモチーフにした半具象的な作品を数多く描いています。その作風は鮮烈な色彩と生命を感じさせる有機的な形態が特徴的で、アンリ・マティスの作品にも相通じる洗練された空気が溢れています。「落下(RAKKA)」は抽象画ですが、床に何物かが落ちてはじける一瞬の緊張感と爆発的な解放感が、単純な形態と限られた色彩で見事に形象化されています。

これまで紹介した作家たちが、20世紀前半まで芸術の都であったパリを活動の拠点としていたのに対し、次に紹介する作家たちは、大戦後新たに芸術のメッカとなったニューヨークに渡って大成した作家たちです。そのひとり草間彌生(くさま・やよい)は、少女時代から悩まされた幻覚を元に、画面全体を小さな斑点で際限なく埋め尽くすドット(水玉模様)・ペインティングを開拓、絵画だけでなく立体やパフォーマンスにも水玉模様を多用して独特の世界を展開し、世界的に有名になった存在です。上の作品「Interminable Net (無限の網) No.2」は初期の作品で、指でひとつひとつ描いたとおぼしき無数の鎖状の模様が画面全体を埋め尽くしており、見つめていると小さな円がぞわぞわと蠢いて見えるような奇妙な気分に誘われる作品です。

上の作品「モーターサイクル・戦士」は、日本のポップ・アートを代表する作家篠原有司男(しのはら・うしお)による、廃材による立体作品です。60年代初頭にスキャンダラスな作品を多数発表して物議をかもした篠原は、69年にニューヨークに渡り、浮世絵を題材にしたポップな平面作品で評価を確実なものとしました。けれども彼の一番の代表作は、本作品をはじめとする一連の、グロテスクな裸体の女ライダーのシリーズです。黒人問題、女性解放問題、暴走族の問題など様々な現代の問題を凝縮したかのようなこの女ライダーは、美術館という上品な(と考えられている)場にはおよそふさわしくない暴力的なエネルギーを周囲に発散し、私たちの常識をひっくり返してその是非を鋭く問い直しています。

破天荒で毒に満ちた篠原の作品とおよそ正反対なのが、桑山忠明による上の作品「無題」です。60年代末のアメリカに出現したミニマル・アート(最小限芸術)の隆盛の中で注目を浴びた彼の作品は、どれも極めてシンプルで禁欲的で、その中に作者の意図や思想を読み取るのは極めて困難です。桑山はこうした自分の作風を「ピュア・アート(純粋芸術)」と呼び、作者自身や他のいかなるものからも切り離された次元で、作品と一対一で向かい合うことによる、純粋(ピュア)な経験を鑑賞者に提示しました。この作品を前にした時、鑑賞者の視界はメタリックな光沢を持つ銀一色で埋め尽くされてしまいます。生命感や人間的な暖かさを微塵も感じさせない銀色。動きや時間の流れを感じさせないどこまでも平坦な色面。それはそれまでの美術にはなかった、極めて未来的で、不思議な体験なのです。

アメリカの現代美術界で、70年代初頭にミニマル・アートと並んで流行したのが、作者の思索の過程や観念をそのまま作品にして表わす、コンセプチュアル・アート(概念芸術)でした。荒川修作(あらかわ・しゅうさく)はその代表作家であり、自らの思考の過程をことばと図形でそのまま図示したダイヤグラム(図式)絵画で美術界のみならず、哲学・思想界など各方面に大きな波紋を投げ掛けました。上の作品「ふち(Blink)」はある日の彼のアトリエの平面図の上に、ベトナム戦争で死んだ友人を悼む彼のモノローグ(つぶやき)を英語で重ねて表現したものです。極めて独特な表現で最初はとまどいますが、ゆっくり読み解いてゆくと、その時のアトリエの様子やぽっかりと穴が開いたような作者の心情が伝わってくる、ユニークな作品です。

河原温(かわら・おん)もコンセプチュアル・アートを代表する作家のひとりで、上の作品「MAR.27.1989」のような、作品を描いたその日の日付が描かれているだけというデイト・ペインティング(日付絵画)で知られています。なおデイト・ペインティングはその日付の新聞が内側に貼られた箱に収められており、作品と同時に展示されることがままあります。1989年3月27日。この日は既に生まれていた人ならば、誰でも何らかの体験をしたはずの日ですが、あなたはその体験をはっきりと思い出すことができるでしょうか? 刻一刻と過ぎ去る時間の大切さを、あなたは身にしみて感じているでしょうか? 時間に追われる現代人がふだん真剣に考えることのない時間の意味について、深く考えさせる作品です。


常設展示「日本の前衛」「滋賀の洋画」 1月21日(土)−4月1日(日)
観覧料(共通):一般 450円(360円)、高大生 250円(200円)、小中生 無料
( )内は20名以上の団体料金。
※日本美術の展示「滋賀の洋画」(1月21日(土)−4月1日(日))も同時にご覧いただけます。
※企画展「近代の洋画・響き合う美」(1月21日(土)−3月11日(日))の観覧券で、常設展もご覧いただけます。