常設展示「志村ふくみと滋賀の工芸」の見どころ紹介(3)


ただ今開催中の日本画・郷土美術部門の常設展示「志村ふくみと滋賀の工芸」の展示作品を紹介するシリーズの、第3回目。今回は5月15日(火)からの後期展示で新たに公開された、志村ふくみの紬織着物8点を中心に取り上げます。

今回展示している志村ふくみの「源氏物語シリーズ」は、彼女が10年ほど前(平成10年頃)からライフワークとして取り組んでいる最新のシリーズです。作品には源氏物語54帖のそれぞれの題名を元にしたタイトルが付けられており、題名に触発されながら、イマジネーションをたくましくしてその言葉が持つ雰囲気を紬織りならではの抽象的な織り柄で表したものです。今回の記事では第1回に引き続き、新たに展示された8点の作品をご紹介いたします。紹介の順序は源氏物語のストーリー順ではなく、作品の制作順です。

朝顔」(2001年・源氏物語第20帖)
タイトルの「朝顔」は光源氏が若い頃から熱を上げていた姫君で、賀茂神社の斎院(巫女として奉仕する未婚の内親王)となっていた女性のこと。父親の死去に伴い斎院を退いた朝顔のもとを光源氏は何度も訪れ、正妻の紫の上を不安にさせます。けれども求愛を拒み続ける朝顔光源氏もやがて折れ、雪の夜、紫の上を慰めつつ自らの恋愛遍歴を語って聞かせます。光源氏に好意を寄せつつも生涯独身を貫き通した朝顔の清らかな心を表わしたのでしょうか、この作品も白を基調とした爽やかな色調が印象的で、そこに緑や薄茶に染め分けられた横糸がからんで清澄で典雅なリズムを生み出しています。朝顔という言葉から現代の我々が連想する、爽やかな夏の朝のイメージにもぴったりの作品です。

「花散里(はなちるさと)」(2002年・源氏物語第11帖)
タイトルは光源氏の父・桐壷帝の妃の一人であった麗景殿女御の妹で、光源氏の妻のひとりであった二の君の別名。二の君は家庭的で慎ましやかな性格の女性で、物語の上ではそれほど大きな役割は果たさないものの、光源氏の長男・夕霧(恋人との中を引き裂かれて傷心の少年)や、光源氏の若い頃の愛人であった夕顔の遺児・玉鬘(たまかずら)らの養母になるなど、母性の豊かな女性として描写されています。この作品でも母なる大地を象徴しているのでしょうか、暖色系の優しい色調が印象的です。驚くほどたくさんの色が巧みに向き合わされており、落ち着いた紫や茶色は花が咲き乱れる大地を、また明るい水色とオレンジ色は、風の中を舞う花びらを表わしているのでしょうか。花の香りすら漂ってきそうな艶やかな雰囲気に圧倒されます。

「野分(のわき)」(2003年・源氏物語第28帖)
源氏物語五十四帖のほぼ真ん中に当たる「野分」の帖は、光源氏の15歳になる長男・夕霧がほぼ主人公となっています。旧暦の8月(現在の9月)、都を激しい野分(台風)が襲い、光源氏の邸宅である六条院の草花も倒れてしまいます。花散里のもとに引き取られていた夕霧は、混乱の六条院を訪れた際、光源氏の正妻格である紫の上の姿を垣間見て、その美しさに心を奪われてしまいます。また光源氏に連れられて女君たちの見舞いに回った際に、花のように美しい女性たちに次々と出会い、仲を引き裂かれた恋人・雲居の雁のことを想いつつも、少年の心は千々に乱れます。茶色と鴬色を中心に穏やかな暖色でまとめられたこの作品は、野分という言葉から連想されるような激しさの代わりに、秋の気配と少年の繊細な心の動揺が優しい雰囲気の中に見事に表現されているかのようです。

「明石の姫君」(2003年)
志村ふくみの源氏物語シリーズは、源氏物語五十四帖の題名から作品のタイトルが直接採られています。けれども1点だけ、五十四帖の題名に由来しない作品が存在します。その作品「明石の姫君」は、作品の丈も他の着物とは違う、小さな子どものための振袖着物です。源氏物語に登場する明石の姫君は、光源氏と明石の上との間に生まれた姫は、娘をいずれ天皇の元に入内させて立身出世を図ろうとする父によって身分の低い母親と引き裂かれ、光源氏のもとで妃教育を施されます。幼くして母親から引き裂かれた幼い少女の姿に、志村ふくみは幼い頃養女に出され、実の母を知らずに育った自らの姿を重ねたのでしょうか。この作品に並々ならぬ思い入れを込めて制作したと言われています。生絹(すずし。精練されていないしゃりしゃり感のある絹糸。オーガンジー)で織られた涼やかな浮遊感のある作品で、その浮遊感があどけない幼女の寄る辺の無さを見事に表わしているかのようです。

「松風」(2003年・源氏物語第18帖)
光源氏が上記の「明石の姫君」を、明石の上から引き取って正妻格の紫の上に預ける決心をするのが、源氏物語「松風」の帖です。帖の題名は、光源氏がなかなか自分の元に訪れてくれないことを嘆きつつ所在なく弾く明石の上の琴の音を聞きながら、明石の上の母尼が詠んだ歌「身を変へて一人帰れる山里に聞きしに似たる松風ぞ吹く」に由来しています。「松風」の「松」は「待つ」の掛けことばになっています。緑を基調とした生命力に溢れる配色の作品でありながら、どこか哀愁を感じるのは、巧みに組み入れられた藍の色のせいでしょうか。それとも、この歌に歌われた明石の上の心情を、我々が既に知っているからでしょうか。

「須磨(すま)」(2003年・源氏物語第12帖)
光源氏が上記の「明石の上」と出会ったきっかけは、現在の兵庫県にある須磨の地に光源氏が隠遁したこと。光源氏が右大臣の娘・朧月夜と関係したことが露見したため、朧月夜の朱雀帝への入内が取り止めとなり、懲罰を恐れる光源氏は都を離れた須磨に逃れました。須磨で嵐に遭った光源氏を迎えた明石の入道は、自らの娘である明石の上を光源氏と娶せようとします。この作品に表現されているのは、須磨の青い海でしょうか。染め分けた糸によって、打ち寄せる波の様子が見事に表現されています。けれども紫式部源氏物語を、石山寺に参籠し琵琶湖の湖面に映った月を見ながらこの「須磨」の帖から書き始めたと言われています。ひょっとしたら志村ふくみがこの作品に託したものも、琵琶湖に映る月光のきらめきだったのかも知れません。

「夕顔」(2003年・源氏物語第4帖)
夕顔は源氏物語の序盤に登場する、若き光源氏の愛人です。光源氏の親友・頭中将の元側室で、身分を隠したまま市井にまぎれて暮らす可憐な女性でしたが、嫉妬に狂う六条御息所の生霊によってとり殺されてしまいます。登場シーンこそ少ないものの、佳人薄命を絵に描いたような悲劇の登場人物として読者に強烈な印象を与えます。この作品は紫と白のみのシンプルな色使いでありながら、巧みに染め分けた糸を駆使して見事な市松文様を生み出している力の入った仕上がりで、儚げながら強い印象を残す夕顔のイメージをほうふつとさせるものがあります。

「蛍」(2004年・源氏物語第25帖)
上記の夕顔の遺児(父親は光源氏の親友・頭中将)が、光源氏の養女として花散里のもとで養われている玉鬘(たまかずら)です。玉鬘に良縁をと考える光源氏は、親友の兵部卿宮(ひょうぶきょうのみや)が玉鬘に恋文を送ったのを喜び、やって来た兵部卿宮の前で几帳(きちょう)の中にホタルを放ち、その光で玉鬘の姿を浮かび上がらせるといいう悪戯を行ないます。玉鬘の予想以上の美しさに心を奪われた兵部卿宮は彼女に積極的にアタックしますが、当の玉鬘はつれなくあしらうのみでした。この作品は通常の絹糸ではなく、精練されていない生絹(すずし)を用いて織られた、軽やかで繊細な浮遊感のある不思議な雰囲気の着物であり、ホタルの光という幻想的なイメージを見事に造形化しています。志村ふくみの源氏物語シリーズの中でもひときわ目をひく一点です。

以上、今回は志村ふくみの後期展示作品8点をご紹介いたしました。


常設展示「志村ふくみと滋賀の工芸」 4月3日(火)−6月24日(日)
※志村ふくみと森口華弘の作品は、会期中に展示替えが行われます。前期展示:5月13日(日)まで。後期展示:5月15日(火)から)

観覧料(共通):一般 450円(360円)、高大生 250円(200円)、小中生 無料
( )内は20名以上の団体料金。
※現代美術美術の展示「《縦》と《横》」(4月3日(火)−6月24日(日))も同時にご覧いただけます。
※企画展の観覧券で常設展もご覧いただけます。