秋の常設展「横山大観と仲間たち」の名品から その1

ただ今常設展示室の《日本画・郷土美術》部門の展示室では、わが国初の在野の日本画団体・日本美術院に集った巨匠たちの作品を、リーダー・横山大観の作品を筆頭に多数展示中です。その中には速水御舟の「洛北修学院村」や安田靫彦の「卑弥呼」といった、当館を代表する名作も数多く含まれています。
そこで今回からしばらく、こうした「当館を代表する名品」の見どころを紹介してゆこうと思います。今回はの第1回として、夭折の天才・速水御舟の初期の代表作「洛北修学院村」(1918)を取り上げます。


速水御舟(1894-1935)は徹底した細密描写を追求し、大正期の日本画壇に特異な地位を築いた巨匠です。14歳で松本楓湖の安雅堂塾に入門。今村紫紅ら参加した若い画家たちのグループ「紅児会」で頭角を現し、大正6(1917)年の院展に「洛外六題」を出品し横山大観らに激賞されて日本美術院の同人に推挙されます。本作「洛北修学院村」はその翌年、京都近郊の修学院に住んで制作を続けていた頃の作品です。

まだ電気すら通っていない素朴な農村の初夏の朝。まだ日が昇っていないにもかかわらず、人々は既に目覚め、薄暗い中を働き始めています。徹底した細密描写で描かれた繊細な画面、そして画面全体を満たす神秘的な青緑色の色彩が印象的な作品で、同時代の若い画家たちに大きな影響を及ぼしました。特徴的な青緑色の色彩は、自ら「群青中毒にかかった」と冗談で言うほど当時の御舟が熱心に取り組んでいたもので、独自の世界を作り出すのに一役かっています。

さてこの作品、さっき「初夏の朝の風景」と書きましたが、どうしてそれがわかるのでしょうか? 画面に描かれているものをよく観察して、どうしてわかるのかその理由を考えてみてましょう。

これが朝の風景であるとわかる理由の第一は、背景に描かれた山にあります。京都修学院から望める山は東方の比叡山。画面に描かれたひときわ高い山のかたちは、まぎれもなく京都から望む比叡山のかたちです。その比叡山の描かれ方をよく見ると、山肌は暗く空はほの明るく、山の端が上部から少しずつ明るくなってゆくように描かれています。これは夜明け前の空の変化と同じです。これがもしも夕方であれば、下の図版のように東の空がどんどん暗くなってゆくのに対し、西日で照らされた山肌が明るく輝いていなければいけないはずです。

第二の理由は、画面中央に描かれた、頭の上に刈った草を乗せて運んでいる女性たちの姿にあります。この草は牛や馬に食べさせる飼い葉で、昭和30年頃までの近畿地方の農家では「朝草刈り」と言って、夏の時期にはまだ暑くない朝食前に里山や畑に行き、草を刈ってくるのが習慣でした。

それでは、季節は初夏だとどうしてわかるのでしょうか。画面の下に見える田んぼには、まだそれほど丈の高くない稲の苗が描かれています。現代と違いこの頃は、5月中旬から6月下旬に田植えを行うのが普通でしたから、稲の苗がこの丈高さにまで成長するのは数週間かかりますから、おそらくこの絵に描かれた風景は6月の上旬から下旬頃の風景だであると考えられます。

では最後に、この絵を描いた画家は、いったいどこからこの風景を見ているのでしょうか? 実はこの作品、画面上部にある比叡山は下から見上げた姿で描いてあるのですが、それ以外の下から4分の3は、空を飛ぶ鳥の視点から地上を見下ろすようにして描いてあるのです。上から4分の1くらいのところに、その折り返しのラインが通っていることがわかります。村を見下ろすようにして描いたのは、村のあちこちのたたずまいを同時にくまなく描こうとしたからでしょうか。
もちろん風景がこんなふうに見える場所なんてありませんから、これは画家が想像で描いた風景です。けれども細部の徹底した細密描写が、風景に現実性を与え、説得力のある表現を生み出しているのです。

本作「洛北修学院村」は、10月31日(日)まで常設展示室で公開中です。


常設展示「横山大観と仲間たち」 8月31日(火)−10月31日(日)
観覧料(共通):一般 450円(360円))、高大生 250円(200円)、小中生 無料
 ( )内は前売および20名以上の団体料金。
※常設展示「赤と黒」(8月31日(火)−12月19日(日))と併せてご覧いただけます。
※企画展の観覧券で常設展も観覧できます。