屏風を鑑賞するための基礎知識(3)


4月10日(日)まで開催している企画展示『襖と屏風−暮らしを彩る大画面の美−』展の出品作品をもとに、屏風(びょうぶ)をより深く、より広く鑑賞するための基礎知識について紹介するシリーズの第3弾です。今回は屏風のかたちと、画面に描かれた図像との関係についてお話しいたします。

屏風は平坦に伸ばして展示するものではなく、ジグザグに折り曲げて飾るのが、本来の展示方法です。図録等には伸ばした状態での写真が掲載されているため、お客様の中には「平坦に伸ばして展示するべきではないか?」とおっしゃられる方がおられます。けれども当館では、極力折り曲げた状態での展示を行っています。その理由は、ほとんどの画家は屏風絵を描く際に、どこが凸型に出っ張り、どこが凹型に引っ込むのか、計算して構図を決定しているため、折り曲げて展示した方が描かれた図像を画家の意図に沿ったかたちで鑑賞できる、と考えているからです。

例えば屏風が凹型に引っ込んだ部分には遠景を描き、凸型に出っ張った部分には近景を描くようにすれば、奥行きがうまく強調されます。上の写真は菱田春草(ひしだ・しゅんそう)の「落葉」ですが、木々の群れを周辺に密に配し、屏風が凹型になった中央の空間をわざと空けて描いてあるため、林の奥行きがうまく強調されて見えます。

また上の写真、茨木杉風(いばらぎ・さんぷう)の「近江八景図」では、近景にある二つの橋がうまく屏風の凸部分と重なるように構図が決められていることがわかります。

上の写真は松並木に沿った街道を行く人々を描いた大林千萬樹(おおばやし・ちまき)の「街道」です。屏風がジグザグになっているために、作品に近付いて鑑賞すると一度にすべての人物を目に収めることができません。右から左に鑑賞者が動きながら屏風の画面を追ってゆくことで、人物が屏風の扇の陰に現れたり消えたりします。まるで松の並木の間に人々が見え隠れしているかのようで、街道に沿って鑑賞者も一緒に歩いているかのような臨場感が得られる作品です。

上は速水御舟の「菊花図」。やはり屏風のジグザグをうまく生かした作品で、菊の花がいちばん密集している部分が、屏風の凸型になった部分の左側の扇にくるように描かれています。通常、日本の絵画は文字を書く方向に合わせて右から左に向けて鑑賞しますから、作品に近付いて鑑賞していると、屏風の扇の陰から不意に菊の花の群れが現れたかのように感じられます。

上の写真は小倉遊亀(おぐら・ゆき)の磨針峠(すりはりとうげ)。二曲屏風が左右対になった二曲一双の屏風で、それぞれの隻(せき)に人物(寺から逃げ出した若い修行僧と、観音の化身の老婆)が一人ずつ独立して描かれています。両者は互いに見つめ合っていますが、その視線はちょうど、屏風の右隻と左隻の境目で出会うように描かれています。二人の人物を四曲一隻に繋げて描かず、あえて一双に分けて描いたのは、二人のいる世界の違い−暗と明、苦悩と救い、迷いと悟りなど−を強調しようとしたためでしょうか。しかし中央で出会う二人の視線が二つの世界を橋渡しし、修行僧は迷いから覚めて修業の道にとって返すのです。作品の鍵である「視線」を屏風の形式にうまくからめた興味深い作品です。

上の写真は富士山麓の牧場に群れなす無数の牛をパノラマ的に描いた、小松均(こまつ・ひとし)の「裾野の牛」です。非常に極端な横長の二曲一隻屏風で、作品の前に立つと左右の二つの扇によって鑑賞者がはさまれて、まるで作品によって取り囲まれているような気分になります。このことによって、果てしなく拡がるパノラマ的風景の巨大さ、ダイナミックさが見事に強調されます。

このように屏風という形式の絵画は、展示室で実際にジグザグに展示されているのを見ないと、その真価を味わうことはできません。図録や画集などで満足せずに、ぜひ美術館に足をお運びになり、屏風芸術の奥深さを体験していただければと思います。
「襖と屏風−暮らしを彩る大画面の美−」展は、4月10日(日)まで開催しています。


『襖と屏風−暮らしを彩る大画面の美−』
◆会 期:2011年 2月19日(土)−4月10日(日)
◆休館日:毎週月曜日 ただし3月21日の祝日は開館。 翌3月22日(火)は休館
◆観覧料:一般 750円(550円) 高大生 500円(400円) 小中生 300円(250円))
      ( )内は前売および20名以上の団体料金
◆出品予定作品:江戸時代から昭和期までの、襖、屏風装による日本画作品約25件

★毎日、午後1時から美術館サポーターによるギャラリートークを行います。