企画展「近代の洋画・響き合う美」の見どころ紹介(1)


1月21日(土)から新しい企画展「近代の洋画・響き合う美─兵庫県立美術館名品展─」が始まります。この展覧会はタイトルが示すとおり、神戸市にある兵庫県立美術館との相互協力協定に基づき、同館が所蔵する近代洋画の作品群の中から、小磯良平と金山平三をはじめとする名品70点を厳選して展示するものです。明治から昭和時代にかけての近代日本洋画の流れを概観できるとともに、関西洋画壇の巨匠たちの粋を目の当たりにすることができる、絶好の機会です。本ブログでもこれから数回に分けて、本展示の見どころをご紹介してゆきます。


(1)洋画の始まり
本展の最初のコーナーでは、明治時代に描かれた黎明期の洋画作品をご覧いただけます。

上の作品は明治から大正にかけて活躍した本多錦吉郎(ほんだ・きんきちろう)の「羽衣天女」。富士山を遠景に望む美保の松原(天女の羽衣伝説で有名な地)を舞台に、天空を舞う天女の姿を描いた作品ですが、この天女にはまるで西洋の天使のような立派な翼が生えています。この作品が出品された明治23年内国勧業博覧会には、本作品や原田直次郎の「騎龍観音」など、西洋絵画の画題を無理やりに日本的画題に翻案した作品が幾つか出品され、その和洋折衷主義の是非を巡っておおいに議論を呼びました。文化が異なる日本の地に洋画を根付かせようとした黎明期の洋画家たちの苦闘を物語る作品ですが、しかし写実主義を見事に吸収した卓越した技術の冴えには見るべきものがあります。

上の作品「はるの像」は日本洋画黎明期に活躍した数少ない女性画家、神中糸子(じんなか・いとこ)が自分の姪の春野を描いた愛らしい作品。白いエプロンをつけてたどたどしく歩く幼女の姿は、思わず見る者の顔をほころばせます。背後には父親のものでしょうか、軍帽と軍刀がさりげなく置かれ、家族の環境を垣間見せるとともに、日清戦争前後の当時の社会情勢を偲ばせるものがあります。

さて明治時代の洋画家たちは、明治10年代まではわが国初の国立の洋画学校である工部美術学校出身の画家たちを中心に結成された「明治美術会」のもとに集結していました。彼らの多くは西洋のアカデミーの画家たちの作風を受け継いだ、量感を重視する構築的な画風を特徴としていました。ところが明治20年代になると、ヨーロッパ留学から戻って来た新しい世代の画家たちが印象派などの光の表現を重視する感覚的な新しい画風を日本に紹介し、しだいに既存の旧派との対立を深めてゆきます。新派の中心となった黒田清輝(くろだ・せいき)や岡田三郎助(おかだ・さぶろうすけ)、和田英作(わだ・えいさく)らは、明治29年に明治美術会を脱退して新たに白馬会を結成。かくして明治後半の日本の洋画壇は、旧派と新派の両流派による、対立しつつも互いに影響を与え合う関係によって賑わいを見せることになります。両者はともに明治40(1907)年に始まった文部省美術展覧会(文展)を主な舞台として、おおいにしのぎを削りました。上の作品は新派の代表作家のひとり岡田三郎助の「萩」。庭にたたずむ佳人の姿を情緒あふれるタッチで描いた作品で、当時の白樺派に代表されるロマンティックな時代の空気がよく現れています。

光の表現を重視したこれら新派は別名「外光派」と呼ばれますが、上の作品「老母像」を描いた白瀧幾之助(しらたき・いくのすけ)は外光派の中でも抑えた色調による穏健な写実的画風を追求し続けた画家で、柔らかい光に満ちた室内の描写においては並ぶ者のない存在でした。光の表現だけでなく、母に寄せる画家の愛情がひしひしと伝わってくるような、人間描写においても優れた作品です。


(2)関西洋画壇の隆盛
2番目のコーナーでは主に「二科会」で活躍した画家たちを中心に、大正時代の関西洋画壇の姿をご覧いただきます。

大正時代になると、印象派に続いて出現したヨーロッパの新しい美術、特にゴッホセザンヌなどの後期印象派や、マチスヴラマンクなどのフォーヴィスム(野獣派)が日本に続々と伝わり、文展の内部にも激震が走ります。山下新太郎(やました・しんたろう)や有島生馬(ありしま・いくま)をはじめとする、新しい流派の影響を受けた画家たちは、旧態依然とした文展の審査に異を唱えて大正3(1914)年に文展を脱退し、新たに「二科会」を結成しました。京都に生まれた安井曾太郎(やすい・そうたろう)も、留学後二科会に参加した画家で、大正・昭和の洋画壇をおおいに盛り上げた巨人です。上の作品「巴里の縁日」は帰国後まもない第2回二科展に出品した作品で、夜の戸外風景を描いた群像画という安井には珍しい画題でありながら、作者自身の愛着も深い、彼の代表作のひとつに挙げられている作品です。パリで実際に画家が目にしたであろう活気に満ちた風景は、新しい時代の芸術に向ける画家のエネルギッシュな情熱の反映なのかも知れません。

関西の洋画壇における大きな展開点は大正13(1924)年、鍋井克之(なべい・かつゆき)や小出楢重(こいで・ならしげ)、黒田重太郎(くろだ・じゅうたろう)らによる「信濃橋洋画研究所」の開設です。彼らが教鞭を執った同研究所では、大阪に香り高い芸術文化を根づかせようと理論と実技を組み合わせた特色ある教育が行われ、そこからは次代を担う多くの画家が輩出して、大阪の近代洋画界の発展に大きく寄与しました。

鍋井克之は風景画表現を追求し続けた大阪の画家で、日本全国を回って日本の自然を追い求め描き続けました。特に明るい紀伊半島の風景がお気に入りで、上の作品「海辺の断崖」もそうした作品の1点で、画面の左半分を占める巨大な断崖の量感と、抜けるような青空の対比が印象的です。

小出楢重も大阪を代表する洋画家で、特に裸婦像を得意とし、それも西洋の理想化された裸婦像とは一線を画する、日本人にしか描けない日本独自の裸婦表現を追求したことで知られています。コテコテの関西人らしい表現と言えるでしょうか。上の作品「喇叭(らっぱ)のある静物」は信濃橋洋画研究所開設の年に描かれた、脂が乗り切った時期の静物画で、きわめて存在感のある力強い表現になっています。セザンヌピカソなど西洋画の影響を乗り越えて独自の表現を追求しようとする、若き小出の情熱が感じられる秀作です。

この「関西洋画壇の隆盛」のコーナーでは、他にも斎藤与里(さいとう・より)や林重義(はやし・しげよし)ら、主に関西で活躍した画家たちによる、大正から昭和初期にかけての初々しくも気概に満ちた秀作を多数展示いたします。またヴィクトール・パリモフ、ダヴィト・ブルリュークといった、日本の洋画壇に大きな刺激を与えた亡命ロシア人画家たちの作品もご覧いただけます。それらすべてをここでご紹介することはできませんが、1点だけ、非常にユニークな作品をご覧いただくことにいたしましょう。

上の作品「テーブルの魚」を描いた上山二郎(かみやま・じろう)は、主に二科会で活躍した画家です。その作風はご覧のように、歪んだ遠近法と童画風の素朴なタッチで静物を描いた、どこかシュールな味わいと、ポップ・アート風の明るさがある極めてユニークなものです。上山と同じ芦屋出身の吉原治良(よしはら・じろう)も、彼の作品に大きな影響を受けたということです。(日本における前衛絵画の父である吉原治良の作品は、あらためてご紹介いたします。)

次回は今回に引き続き、大正から昭和初期に活躍した洋画家たちの名品と、兵庫県が生んだふたりの巨匠、金山平三と小磯良平の作品を取り上げます。


企画展示『近代の洋画・響き合う美─兵庫県立美術館名品展─』
■会期=平成24(2012)年 1月21日(土)─3月11日(日)
■休館日=毎週月曜日
■観覧料=一般950円(750円)・高大生650円(500円)・小中生450円(350円)
      ※( )内は前売及び20名以上の団体料金
※企画展の観覧券で、常設展示「滋賀の洋画」「日本の前衛」もご覧いただけます。