常設展示「《縦》と《横》」の見どころ紹介(1)

現在開催中の常設展示『滋賀の洋画』と『日本の前衛』は4月1日(日)で終了し、4月3日(火)からは新しい展示として、郷土美術部門の『志村ふくみと滋賀の工芸』と、現代美術部門の『《縦》と《横》』が始まります。その内容について、このブログでもこれから少しずつご紹介してゆきます。まずは『《縦》と《横》』(4月3日(火)─6月24日(日)開催)の展示作品を、数回に分けてご案内いたします。
縦の線と横の線は、造形作品にとってもっとも基本的な要素です。作品を描く紙やキャンバスすら、縦と横の線で囲まれた長方形をしていることがほとんどです。20世紀以降、芸術家たちは造形のもっとも基本的な要素を追い求め、縦と横の線、あるいは縦方向と横方向の動きに注目した作品を数多く生み出しました。抽象絵画の先駆者のひとりであるオランダのピエト・モンドリアン1920年代に確立した、赤青黄の3原色と、垂直・水平の線で形作られたシンプルな抽象絵画のスタイルはその代表的なものです。
本展示『《縦》と《横》』では戦後の現代美術作品の中から、直角に交差する水平と垂直の線、縦横方向への動きや拡がり、矩形(長方形)や立方体などによって形作られた作品群を集めて紹介し、造形作品における「縦と横」の意味を探ることにいたします。


【1.造形の基本要素】
1960年代後半に現れたミニマル・アート(最小限芸術)の作家たちは、モンドリアンよりもさらに徹底して造形の基本要素を探求し、これ以上単純化して削れないギリギリの要素を抽出しようと試みました。その結果現れたのが、正方形の単純な繰り返しによる作品群です。

桑山忠明(くわやま・ただあき)は1960年代半ばに、金属のフレームで巨大な正方形の画面を繋ぎ合わせただけの作品を生み出し、ミニマル・アートを代表する作家のひとりとなりました。真っ赤に塗られた上の作品「無題」は1965年の作品。そしてその10年後に描かれた1975年の下の作品「無題」は、金属粉を混ぜた銀色のメタリック・ペイントで一面塗られており、感情移入をとことん阻む無機的で冷たい印象だけが残ります。

あまりにも単純なその画面からは、作者がどんな意図でこの作品を制作したのか、まったく窺い知ることができません。作者自身が言うように、これらの作品の中には「観念も理想も哲学も理屈も意味も、画家の人間性さえも入っていない」のです。では私たちは、鑑賞者を突き放すこれらの作品に、いったいどのように接したら良いのでしょうか。
これらの作品はいずれも、縦、横ともに2メートルを越える巨大な画面(一辺が236cm)です。作品の前に立つと、視界がほとんど、目の前に一面に塗られた色で覆われてしまいます。そしてその色は強烈な真紅にせよ無機的な銀色にせよ、人間が日常生活の中でふだん身の回りをすっぽりと覆うような色ではありません。もしも自分の家の中が、壁も床も家具さえもすべて真紅や銀色だったらどんな風に感じるか、想像してみて下さい。これらの作品を前にした時、わたしたちはふだん味わったことのない、強烈で純粋な体験を味わうことになるのです。桑山忠明は自分の芸術をミニマル・アートではなく「純粋芸術(ピュア・アート)」と呼んでいますが、それは作品を前にした時の純粋経験を重視しているからかも知れません。
では作品を区切る十字型の金属線は、いったい何のためにあるのでしょうか? もしもこの十字線が無かったら、作品を前にした時わたしたちが見るのは、とりとめの無い一面の色彩だけでしかありません。わたしたちは画面全体を見ることをやめ、すぐ目の前の一部分を見るだけで満足してしまうでしょう。けれどもこの十字線があることで、わたしたちの注意は常に作品全体の広がりに及ぶことになります。縦の線と横の線が、画面全体を見る体験を支えているのです。

桑山の作品と同じく、正方形の繰り返しでできているのが、カール・アンドレの「Zinc-Zinc Plain」(亜鉛-亜鉛 平面、という意味)です。一辺がちょうど1フィート(30.48cm)の正方形の亜鉛板が6×6=36個、展示室の床に並べられただけの作品です。しかもこの亜鉛版、作者のアンドレが自分の手で作ったものではなく、工場に依頼して裁断してもらっただけ、アンドレは単に指示をしただけというシロモノです。板の表面に模様のようなものが見えても、それは偶然の産物であり、意味があるわけではありません。この作品も桑山の作品同様、どう鑑賞したら良いのか途方に暮れる作品です。どこかに、鑑賞のための手掛かりは無いのでしょうか?
実は作品の大きさ(6フィート四方)が、ひとつの手掛かりになっています。日本で言うと6フィート(約180cm)四方はたたみ二畳分、ちょうど1坪です。1坪は大人がその中で手を伸ばして寝ることができる広さ、日本の建築の基本単位です。それはアメリカでも同様で、6フィートという数字は人間の基本サイズとして道具の大きさに流用される等、日常で頻繁に使われる単位であり、棺桶を埋めるには6フィート以上の深さにしなければならない等、法令にもしばしば登場する特別な数値なのです。この「人間の基本サイズ」が目の前に提示されることで、わたしたちは作品が置かれた展示室の広さ(この作品が1坪なら、この展示室は何坪なんだろう? 等)や、自分と作品との関係(自分の部屋にこの作品はそのまま置けるだろうか? 等)などに、ついつい注意を払うことになります。作品を床から切り離された独立の存在として見るのではなく、わたしたちがいる空間と地続きのものとして見ることになるのです。作者のアンドレはそれまでの「形としての彫刻」に対し、作品が置かれている空間について問い掛ける「場の彫刻」という考え方を打ち出した作家です。展示室という場がアンドレの作品によって、縦と横の線に沿って区切られたことにより、わたしたちの展示室を見る目も少し変わったように思えませんか?

これらミニマル・アートの先駆者のひとりとされている作家に、1950年代に活躍した抽象表現主義の画家、アド・ラインハートがいます。彼の作品にも桑山やアンドレの作品同様、正方形の組み合わせでできているものが多数あります。今回の展示作品「トリプティック」は一見縦長の真っ黒な長方形に見えますが、よく見ると正方形が3つ縦方向に繋がっていることがわかります。さらに近寄って画面を凝視して下さい。それぞれの正方形の中に、小さな十字型が見えてきます。下の写真はコントラストを調整して十字型を見えやすくしたものです。実はこの十字型も、正方形を組み合わせて作られています。

十字型と言えば、西欧人にとってはどうしてもキリスト教の十字架を連想させます。実際、タイトルの「トリプティック」とは宗教絵画によくある三連絵画(三幅対)を指しています。見る人を瞑想に誘うような暗く静謐な画面は、宗教的な祈りに通じるものがあるように感じられます。ほとんど黒一色に見える色彩は、吸い込まれそうに深く、見る者の心を捉えます。ラインハートの作品は一見、続くミニマル・アートの作品と似ていますが、ミニマル・アートのように「鑑賞のもっとも純粋なあり方は何か」を問う哲学性などは無く、むしろ感覚だけで味わうことができる類のものです。心を空にして瞑想的な画面を体験してもらうために、作者はあえて雑多な要素を取り去り、作品を縦と横の線で区切られたシンプルな構成だけを残したのです。

今回の展示では「トリプティック」の他に、ラインハートの10点組の版画作品「無題」も展示いたします。正方形の組み合わせのバリエーションで展開される、静謐で瞑想的な世界をお楽しみ下さい。

次回も引き続き、本展示の見どころについてご紹介いたします。


■常設展示「《縦》と《横》」 4月3日(火)−6月24日(日)
観覧料(共通):一般 450円(360円)、高大生 250円(200円)、小中生 無料
( )内は20名以上の団体料金。
日本画・郷土美術美術の展示「志村ふくみと滋賀の工芸」(4月3日(火)−6月24日(日))も同時にご覧いただけます。
※企画展の観覧券で常設展もご覧いただけます。